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2013年8月に作成された投稿

2013年8月23日 (金)

過去日記をUPしました

過去を一律下書きにしていたのですが、うんちくと、漫画やアニメの小説の感想だけ再UPしました。

2013年6月以前はすべて非公開設定にしたものです

ひまな人どぞ

宇宙(2006/10/4作成を再掲載)

世の中には、

原子があって、

Photo_2

こんな感じで、原子核のまわりを

電子が回っていると考えられています

よーく、この図を見て見ましょう

何かに似ていませんか?

そう、ちょっと前に、世間を騒がせた

太陽系に似ているんです

もしも、太陽を原子核とすると、

惑星が、電子になります

すると、不思議な感覚になりませんか?

もしかしたら、私たちは、何かの物質を構成する

原子の一部かもしれない思えないですか?

私たちは、電子の表面にくっついた小さな生き物なのかもしれません

そして、その物質は、私たちのおよびもつかない

途方もない大きさを持っていることになります

逆を考えてみましょう

自分の体を構成する原子の中に、

太陽系のような宇宙を持っていたとしたら…

自分の中に、自分の知らない

数えることもできないぐらい大量の生物が、

右往左往しながら生きているかもしれません

私たちが受精したのと同時に

体内では、ビックバンによって宇宙が生まれ、

私たちの成長と共に

惑星で、進化と繁栄が起き、

私たちが死んだときに、

有無を言わさず崩壊する宇宙

なんだか壮大で、つつましい気分になりませんか?

大学で、この図を見たときから、

ずっとこんなことを考えてきました

なかなか哲学してるでしょ

2013年8月18日 (日)

無気力と私

中学生の頃、親友が「吉田兼好のように、世捨て人になりたい」と言った。
私は、笑って聞いていたけれど、心の中では毒づいていた。
―絶対なれないくせに。
親友の周りは愛情に溢れていて、周りが放っておかなかった。
逆に私は放っておくと、すぐに世捨て人みたいになってしまう。
 
私は、ずっと、無気力に悩んできた。
小学生の頃からそれは始まり、いい歳になった今でも引きずっている。
すぐに世捨て人のようになって、家に引きこもり、誰とも会おうとせず、何もせずに過ごす。
ひどいときは指一本動かすことを嫌う。
心屋式に出会い、「~するべき」といった、自分の法律を外し、自分の壁を取っ払った。
自分のやりたいことをやるようになって、出てきたのは、相も変わらずな無気力な自分だった。
やる気に満ち溢れ、わくわく毎日を過ごす自分が出てくるはずだったのに「なんで」と思った。
―まだ、私は壁を壊す作業が足りないんだろうか?
 
あがいて、いろんな言葉に「~してもいい」をくっつけて自分の壁を壊して…眠くなる。
「無気力になってもいい」
「嫌われてもいい」
つぶやくうちに、少しづつ、視界が広がってきた。
―なんか、みんな、のんびり生きてないか?
ゲームとマンガに時間とお金をつぎ込んだり、自転車に乗って延々とどこかあてもなく出かけてみたり…
前は、ねたみや、自分とは違うとか、そういった視点でしか見れなかったものが、だんだん違う形になっていく。
一体私は何をしてるんだろう
時折、水面から顔を出すように、冷静になる。
恐れも、焦りもない世界が一瞬やってきて、また去っていく。
 
そして、とうとう気づいてしまった。
―もしかして、私、静かに生きていきたいのでは?
そう思ったら涙が出た。
小さい頃から、敏感な子どもだったから、教室の居心地が悪かった。
苦しいこと、悲しいことがいっぱいあったから、救われたかった。
「いつか、静かに穏やかに過ごしたい」
そう思ったのはどこの誰だ?
 
何も考えず、何も見ず、ただ、薄ぼんやりと、ごろごろしたかっただけなんじゃないのか?
逃避してると思って罪悪感を感じるから苦しいだけじゃないのか…。
―悪くないじゃん。
ぜんぜん普通のことじゃないか。
みんな、やりたいって言ってることをやってるだけじゃん。
ああー
 
 
私は幸せだった。
 
 
こんなことを薄々感じてはいたけど、認めることができなかった。
がんばらない自分が許せなかった。
がんばる仕組みを作れない自分がふがいなかった。
なんだ、幸せなんじゃないか。
曲がりなりにも、人がうらやむ存在になってるじゃないか。
笑えてきて、ああ、終わったと思う。
 
今日は、張り切って、無気力に生きよう、
今日は、遊ぼう、
そう決めた途端にこうして書き物をしたりしている自分がいる。
本当にあまのじゃくだと思う。
 
そんな自分も幸せで「やる気のある自分」が手に入ったのに、今度は、その自分に休もうよ、と言っている。
私は贅沢者だ。

母親と食事

私は、食べ物を残さない子どもだった。
今でもそうだ。
母親は料理が苦手な人で、料理が下手な自分を恥じていた。
だから、私は、悲しませたくなくて残さないようにしていた。
学校の授業で、食事が出てくるまでにたくさんの人の手を得ていることや、動物や植物の命を食べていることを学ぶといっそう残さなくなった。
貧乏も経験し、米粒一粒が愛おしくて、どうやったら、お茶碗に米粒を張り付かせずに全て食べることができるか研究し、今では習慣になってしまっているほどだ。
おなかいっぱいになっても、残さず全部食べようとする私を見て、母親はよく、「無理しなくていいのよ。苦しかったら残しなさい」と言っていた。
私はあまのじゃくだったから、そう言われると絶対残せなかった。
 
 
 
母親との確執も一番食事に出た。
私は、高校から離れて暮らしていた。
私は中学から親を切り捨てる訓練をしていたから、離れて暮らしても用事がない限り会おうとしなかった。
大学のとき、どうしても会わなければならず、ひさしぶりに母親を訪ね、食事を振舞われた。
それは、母親が作ったわけではなく、別の人が作ったものだった。
味がしなかった。
砂のようだった。
食べ切れなかった料理をパック詰めにしておみやげを渡してくれたけど、食べるのが嫌で、部活の後輩に食べさせた。
「おいしい」
私は、後輩の「もったいないから食べてみた方がいい」という言葉に負けて食べてみた。
「…おいしい」
私は、母親の前で、味を感じなくなってたのか、と愕然とした。
いつから…と思うと考えることが怖かった。
 
 
 
今、いい歳になって、食が細くなった。
ストレスが溜まると、食べれなくなる。
おなかが減ってるのに、飲み込めない。
飲み込みたくないのに、無理矢理押し込むように食べたりする。
倹約ぶったり、面倒くさがってご飯を食べず、体温が落ちて寒くなったり、意識が遠のいたりするような無茶も何度もやったし、今もゆっくりと痩せ続けている。
ダイエットと言ってご飯を残す人は大嫌いだった。
こっちは食べること、食べていくことに必死なのに、ダイエットする人は、食べることが楽しすぎて、食事を無駄にする。
ダイエットをする人は、正義を振りかざすように、痩せていることをうらやましがる。
頬がこけていく恐怖も、食べられないくやしさも、この人達はうらやましいと言うのか…そんな言葉を何度も飲み込んだ。
 
 
 
「ご飯も愛情のひとつだよ」
友達に指摘され、涙が止まらなくなった。
私と母親は、会話がほぼなかったけれど、今思えば、食事で愛情のやりとりをしていたのかもしれない。
母親の不器用な愛を、私はただ受け取った。
―ああ、私は、母親と愛情のやりとりをちゃんとしてたのか、と思うと、涙が止まらなくなる。
今、やっと、母親の不器用な愛と、それを受け取ってた自分を受け入れることができた。
今じゃなきゃ、「ご飯も愛情のひとつだよ」というこの言葉が受け入れられなかった。
気付けなかった。
 
もう、母親のことは自分の中で終わったと思っている自分がいる。
何かに気付いている自分もいる。
気付いてないふりをしている自分もいる。
これから、どうするか、どうなるか、分からないけれど、親を切り捨てたことで、愛情を受け取りにくくなっている自分がいることは確かだ。
いつか、毎日、おいしくご飯を食べ、ぷくぷくに太ってみたい。
もしくは、願わくば、愛する人に囲まれ、おいしくご飯を食べ、ムキムキの筋肉の身体になってみたい。
やっと、無邪気にそんなことが願えるようになった。
長かった。
今なら、ダイエットしてる人も受け入れられそうだ。
気付かせてくれた全てに感謝。
この話が、だれかの気付きになりますように。

2013年8月12日 (月)

鈴木一郎の借用書(なんちゃって金融・経済解説1)

みなさんは、借用証書が売買できることをしってますか?
経済を勉強しはじめたとき、この感覚がなかなか理解できませんでした。
なので、ここで、そんな人のために私のうんちく力でわかりやすくしちゃいまーす。(できる限り)
よくドラマやマンガで取り上げられるエピソードを元に解説します。
    ◆
鈴木一郎は困っていた。
自分が経営する飲食店が危うくなり、大金が必要なのだが、もう、お金を貸してくれるところがどこにもない。
一郎には、花子というかわいい娘がおり、大学進学を控えていた。
―破産すれば、この子は大学に行けなくなる…
花子は、最近幼馴染とつきあいはじめていた。
その相手は、一郎を支える部下の子どもだった。
一郎が破産すれば、花子は、進学と恋人を一気に失う…
一郎は決心して、誰に相談することもなく、ひっそりと闇金に手を出した。
花子は、何も知らず、無事大学進学を果たし、恋人とも順調に愛を育み、あと1年で卒業という時期になると、結婚の約束をするようにまでなっていた。
そんなとき、一郎は、衝撃の告白をする。
「会社が倒産する。
うちには莫大な借金があって、もう、この家も、飲食店も手放さないといけない。
明日には、暴力団が借金の取り立てに家に来るんだ…」
こうして、鈴木親子は地獄に落ちた…
 ◆
ありがちなエピソードですが、現代ではいろいろ法律が変わったので、こういうことは昔話になりつつあります…そこは無視して、ここで、疑問に思って欲しいことがひとつあります。
なぜ、闇金に貸したのに、暴力団が出てきたのか。
―えっそんなの当たり前じゃん!
と思ったあなた!
この物語では、闇金=暴力団ではないのです。(闇金=暴力団のところもあるけど、ここでは無視)
っていうか、そこをつつくの!と思ったあなた!
そうです!
そこが肝なのです。
闇金は、一郎の借用証書を、暴力団に売ったからこそ、暴力団が取り立てに来たのです!
―はあ?
っていうみんなの顔が見えそうだよ!
ふふふ
そう、ここが不思議なところなのです。
まず、借用証書に注目!
借用証書は、借りたお金(元本)と利息でできてます。
Q:一郎がお金を返せなくなった時点で、闇金が回収できなくなったものはなんでしょう!
A:もらえるはずだった利息と借金の残りですね。まあ、仮に合計一千万だったとしましょう。
それを暴力団に一千万で売ったのです!
闇金は、こうして、一郎の借用証書のことなどすっぱり忘れました。
ここで、重要なのは、なぜ、借金が売れたのか。
なぜ、暴力団は借金を買ったのか。
だって、闇金が回収不可能になった紙切れ一枚に一千万ですよ。
それは~
それは~
それは~(うざくせめてみました)
暴力団には、鈴木親子からお金を回収する手段をいっぱい持っていたからです!
たとえば、花子をソープに沈めたりとか。
たとえば、飲食店を一郎に引き続き経営してもらいながら、その名義や信用を利用した詐欺や犯罪を行ったりとか。
暴力団はこうして一千万を無事回収できたのでした~
この仕組みが理解できると、一気に、国債、社債が分かるようになります!
たとえは悪いけど、ショッキングな例えの方が頭に入りやすいからいいのです。
次に続く~

金融と経済解説しちゃうぞ!

経済をわかりやすく紹介します!
いきなりはじめたこのコーナー
劣等感のおかげで、自分が勉強したことは、みんなも知っていると思っていた私。
人と違うことがしたくて勉強したくせに、
みんなが知らないことを知って小説のテーマにしようとしてたくせに、
その知識で、食べていきたいと思っていたくせに、
何やってんだ!と思い、そのまま、不定期コラムにしてみようと思います。
あわよくば、公演依頼が来ることを祈って!

2013年8月 9日 (金)

ワンピース 実体のない敵

最近、漫画喫茶バイト休憩中にワンピース読んでます。

魚人島編で、すごくおそろしくなった言葉がありました↓ネタばれあり















敵に実体がない。
と叫ぶシーンがあるのです
(以下は本がないのでうろ覚え)
この敵は、なにか、つらい経験があるわけでもなく、理由があるわけでもなく、最終的にだれかの幸せを願うわけでもない。
ただ、相手が悪いから自分が壊れても戦う。
私は、今までのどんな敵より、この敵が一番怖い。
それは、戦争を引き起こす原因であり、教育が必要とされる原因だとも思うから。
そして、現代社会でも、何かを盲信的に信じている人ばかりだから。
狂信的に何かを信じることは、楽だ。
相手が悪いから、戦う。倒す。何が悪い?
常識と言われるものを何も考えず信じることにも似ている。
このシーンを読んだとき、ワンピースすげぇと思った



あと、女がちゃんとキャラ立ちしているところがいいな~と思う。
たまに、この人たち、生理のときどうしてるんだろーと思うときはあるけど…
以上、最近、ルフィみたいな生き方がしたいんだ!と気づいた者の一人ごとでした。

2013年8月 8日 (木)

心屋式で変わったこと。幸せな一日。

心屋式効果を私小説にしました。

普通の日記書けなくて。

◆やっと手に入れた一日

今日、帰りの電車を降りて、ふと、一日を振り返ったら涙が止まらなくなった。

友達と遊んだ一日がとても幸せだったからだ。

 

今まで、私は、友達といても緊張してばかりだった。

役に立とう、楽しませよう、損をさせないようにしようとそればかり考えていた。

友達が愚痴をこぼせば、対応策を必死で考えた。

ただ、聞いてあげることは苦痛だった。

人を楽しませようとするあまり、無意識に話題を作ろうとしたのか、変な失敗が続くこともあった。

損をさせまい、と全部相手にあわせて、自分の意見を口に出さないようにした。

相手が好きな人であるほど、その緊張は高まる。

男女問わず、好きな人ほど、近くにいることが苦痛になって連絡を取らなくなる。

連絡を取ることが怖くなる。

時間を置けば、「やっぱり嫌われた」という気持ちに支配される。

ちょっとでも、相手が機嫌の悪そうな声を出すと、怖くてしょうがない。

―私が気に入らないことをしたから

自分のどこがいけなかったのか、行動を振り返って点検を始める。

私が原因とは限らないのに。

友達と別れ、一人になった瞬間、楽しかったはずなのに、力が抜ける。

疲れが押し寄せてきて、自分を取り戻すように、古本屋へ行ってマンガを読む。

こんな私だったけれど、長年付き合う内に、心置きなく話せるようになった人もいる。

それでも、この「くせ」のおかげで失った縁は多い。

年々、友達と食べるご飯に味を感じなくなった。

ずっと苦しかった。

 

心屋式に出会い、完璧を捨て、理想を捨て、役に立つことを捨てた。

身体の拒否反応で震えながら、

「失敗してもいい」

「役に立たなくてもいい」

「どーせ、愛されてるし」

何度も何度も唱えた。

しばらく唱えると頭の中が嵐にかき回されたようになって、痛みが起こる。

痛みの後は、しばらくぼんやりする。

ぼんやりする頭の中で、積み木に分解された「何か」が組み変わっていく手ごたえがあった。

嫌いな相手もどんどん飲み込んだ。

取り戻した一部は、痛みと気持ち悪さを持って、私の中を駆け巡る。

だんだん、自分が被害妄想に落ちると気付くようになった。

気付いた瞬間に言葉に変えて、「してもいい」をくっつけて唱え続けた。

お風呂で、急に堰を切ったようにでかい塊が吐き気や悲しみと一緒に湧きあがって来て声を上げて泣いた。

その度に、今まで見ないようにしてきた自分の恐れがいくつか終わっていった。

 

ある日「愛されてる」証拠に気付いた。

それは、とても小さな出来事だったけれど、私には衝撃だった。

ああ、好きなことしてていいんだ、と本当に心から思えた。

人は、皆、愛することからはじめるんだ、と信じることができた。

人は知り合って、相手と向き合った瞬間から愛することをはじめるんだ、と思った。

「愛」っていうのは、ドラマチックでも、神聖なものでもなくって、ただ、相手がそこにその形でいるって認めることが「愛」なんだ、と思えた。

愛の反対は「拒否」。

「拒否」は、自分が原因ではなく相手に原因がある。

だから、私は、みんなに愛されてるって信じてもいいんだ、と思えた。

 

そして、今日、友達と遊んだとき、ご飯がおいしく食べることができた。

友達の中に、かつて、私が悩んだ同じ「拗ね」を見つけたけど、イライラしたり、「指摘しなきゃ」という押し付けがましい正義感に駆られることもなかった。

友達の問題は友達の方法で解決する。

私は、私が言いたいことを言えばいい。

求められてもいないのに、役に立とうとしなくていい。

そう思うと、「拗ね」が少し愛おしく思えた。

無邪気に好きなものを見て、好きなものを語って、相手の意見に怯えず、自分の言葉も選ぼうとせず、ただ、思いつくままにそこに「居る」。

友達と私は違うのだから、意見が違って当たり前。

同じような悩みを持っていて、私が少し楽になったからといって、私が友達の上になったわけじゃない。

ただ、私は素敵な遊び場を見つけただけにすぎない。

ただ「違う」だけ。

いつもは疲れる時間帯にも元気に動きまわり、一日とても楽しかった。

一人になって「幸せだなあ」と思えた。

―ああ、こんな風に人と向き合えるようになるなんて思わなかった―そう思うと、涙が止まらない。

こんなに簡単なことが―今までできなかった。

無理して、相手に合わせるから、相手が私に好意を持ってくれてもいまいち信じられなかった。

今日、友達が、

「前の職場は苦しかったけど、こんな風に過ごせる友達ができてよかった」

って言ってくれたことも素直に受け止めることができた。

ああ―あんなに欲しかった満たされる瞬間をやっと手に入れたんだ―

それは、私が理想で描いていた充足感でいっぱいの幸福の形とは少し違うけれど、開放されたような軽い身体でほっとできる…そんな気持ちだった。

 

まだまだ、私の中に「拗ね」はいっぱいあって、たぶん、明日になれば、また気付いてない「拗ね」に支配されるのだろう。

でも、私は「幸せを分かち合える瞬間」を知った。

誰の役にも立ってない「家にいる時間」はまだ空虚になりがちだけど、少しづつ自分を取り戻せたらいい。

「どうせ、役に立たないし」

「役に立ってもいいし」

「どうせ、愛されてるし」

あんまりにも感動したこの気持ちを、あさましくも形を整え、作品にしてしまおうと思う自分がいます。

それも自分です。

この作品はうまく書けたと思うけど、かっこつけすぎかもしれません。

それでも、少しでも多くの人に、疑似体験してもらえれば幸いです。

言葉にできなかった想いが形になった、そう思っていただけると尚うれしいです。

2013年8月 1日 (木)

上級セミナーに参加して(覚書程度に)

心屋さんの上級セミナーに行ってきました

まあ、いろいろありすぎてうまく言葉にならないので、断片をば

びっくりしたことは、
優秀になると、みんなが離れていくと思ってたこと。
 
優等生コンプレックスがあったようです
起業したから、優秀に見せて信用得ないといけないのに、何してるんだ自分。
私を本当に大切にしてくれてた友達は、そんな人じゃないのに。
誰に嫌われることを恐れてたんだ!
 
あと、自分のこと大雑把だと思ってたのに、実は、細かい人間だったことに気づきました。
細かいことに気づき、理想が高いのに、不器用で実行力がない。
だから、大雑把だと自分のことを思ってた。
 
自分を否定するものがずいぶん少なくなった
 
けど、完全になくなったわけではなく、里の業は厳しい…
 
一番の宝物は、2日間の旅を一緒にした3人です。
遠く離れて、ラインでしかつながってないけど、いつでもあの瞬間に戻れる気がする。
 
心が閉じようとすると、ラインの3人が、開くことを思い出させてくれます。
 
こばの、進行は、流れるようで、硬すぎず、柔らかすぎず、いいバランスだと感じました。
このような場をありがとうございました

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