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心と体

2013年8月18日 (日)

無気力と私

中学生の頃、親友が「吉田兼好のように、世捨て人になりたい」と言った。
私は、笑って聞いていたけれど、心の中では毒づいていた。
―絶対なれないくせに。
親友の周りは愛情に溢れていて、周りが放っておかなかった。
逆に私は放っておくと、すぐに世捨て人みたいになってしまう。
 
私は、ずっと、無気力に悩んできた。
小学生の頃からそれは始まり、いい歳になった今でも引きずっている。
すぐに世捨て人のようになって、家に引きこもり、誰とも会おうとせず、何もせずに過ごす。
ひどいときは指一本動かすことを嫌う。
心屋式に出会い、「~するべき」といった、自分の法律を外し、自分の壁を取っ払った。
自分のやりたいことをやるようになって、出てきたのは、相も変わらずな無気力な自分だった。
やる気に満ち溢れ、わくわく毎日を過ごす自分が出てくるはずだったのに「なんで」と思った。
―まだ、私は壁を壊す作業が足りないんだろうか?
 
あがいて、いろんな言葉に「~してもいい」をくっつけて自分の壁を壊して…眠くなる。
「無気力になってもいい」
「嫌われてもいい」
つぶやくうちに、少しづつ、視界が広がってきた。
―なんか、みんな、のんびり生きてないか?
ゲームとマンガに時間とお金をつぎ込んだり、自転車に乗って延々とどこかあてもなく出かけてみたり…
前は、ねたみや、自分とは違うとか、そういった視点でしか見れなかったものが、だんだん違う形になっていく。
一体私は何をしてるんだろう
時折、水面から顔を出すように、冷静になる。
恐れも、焦りもない世界が一瞬やってきて、また去っていく。
 
そして、とうとう気づいてしまった。
―もしかして、私、静かに生きていきたいのでは?
そう思ったら涙が出た。
小さい頃から、敏感な子どもだったから、教室の居心地が悪かった。
苦しいこと、悲しいことがいっぱいあったから、救われたかった。
「いつか、静かに穏やかに過ごしたい」
そう思ったのはどこの誰だ?
 
何も考えず、何も見ず、ただ、薄ぼんやりと、ごろごろしたかっただけなんじゃないのか?
逃避してると思って罪悪感を感じるから苦しいだけじゃないのか…。
―悪くないじゃん。
ぜんぜん普通のことじゃないか。
みんな、やりたいって言ってることをやってるだけじゃん。
ああー
 
 
私は幸せだった。
 
 
こんなことを薄々感じてはいたけど、認めることができなかった。
がんばらない自分が許せなかった。
がんばる仕組みを作れない自分がふがいなかった。
なんだ、幸せなんじゃないか。
曲がりなりにも、人がうらやむ存在になってるじゃないか。
笑えてきて、ああ、終わったと思う。
 
今日は、張り切って、無気力に生きよう、
今日は、遊ぼう、
そう決めた途端にこうして書き物をしたりしている自分がいる。
本当にあまのじゃくだと思う。
 
そんな自分も幸せで「やる気のある自分」が手に入ったのに、今度は、その自分に休もうよ、と言っている。
私は贅沢者だ。

母親と食事

私は、食べ物を残さない子どもだった。
今でもそうだ。
母親は料理が苦手な人で、料理が下手な自分を恥じていた。
だから、私は、悲しませたくなくて残さないようにしていた。
学校の授業で、食事が出てくるまでにたくさんの人の手を得ていることや、動物や植物の命を食べていることを学ぶといっそう残さなくなった。
貧乏も経験し、米粒一粒が愛おしくて、どうやったら、お茶碗に米粒を張り付かせずに全て食べることができるか研究し、今では習慣になってしまっているほどだ。
おなかいっぱいになっても、残さず全部食べようとする私を見て、母親はよく、「無理しなくていいのよ。苦しかったら残しなさい」と言っていた。
私はあまのじゃくだったから、そう言われると絶対残せなかった。
 
 
 
母親との確執も一番食事に出た。
私は、高校から離れて暮らしていた。
私は中学から親を切り捨てる訓練をしていたから、離れて暮らしても用事がない限り会おうとしなかった。
大学のとき、どうしても会わなければならず、ひさしぶりに母親を訪ね、食事を振舞われた。
それは、母親が作ったわけではなく、別の人が作ったものだった。
味がしなかった。
砂のようだった。
食べ切れなかった料理をパック詰めにしておみやげを渡してくれたけど、食べるのが嫌で、部活の後輩に食べさせた。
「おいしい」
私は、後輩の「もったいないから食べてみた方がいい」という言葉に負けて食べてみた。
「…おいしい」
私は、母親の前で、味を感じなくなってたのか、と愕然とした。
いつから…と思うと考えることが怖かった。
 
 
 
今、いい歳になって、食が細くなった。
ストレスが溜まると、食べれなくなる。
おなかが減ってるのに、飲み込めない。
飲み込みたくないのに、無理矢理押し込むように食べたりする。
倹約ぶったり、面倒くさがってご飯を食べず、体温が落ちて寒くなったり、意識が遠のいたりするような無茶も何度もやったし、今もゆっくりと痩せ続けている。
ダイエットと言ってご飯を残す人は大嫌いだった。
こっちは食べること、食べていくことに必死なのに、ダイエットする人は、食べることが楽しすぎて、食事を無駄にする。
ダイエットをする人は、正義を振りかざすように、痩せていることをうらやましがる。
頬がこけていく恐怖も、食べられないくやしさも、この人達はうらやましいと言うのか…そんな言葉を何度も飲み込んだ。
 
 
 
「ご飯も愛情のひとつだよ」
友達に指摘され、涙が止まらなくなった。
私と母親は、会話がほぼなかったけれど、今思えば、食事で愛情のやりとりをしていたのかもしれない。
母親の不器用な愛を、私はただ受け取った。
―ああ、私は、母親と愛情のやりとりをちゃんとしてたのか、と思うと、涙が止まらなくなる。
今、やっと、母親の不器用な愛と、それを受け取ってた自分を受け入れることができた。
今じゃなきゃ、「ご飯も愛情のひとつだよ」というこの言葉が受け入れられなかった。
気付けなかった。
 
もう、母親のことは自分の中で終わったと思っている自分がいる。
何かに気付いている自分もいる。
気付いてないふりをしている自分もいる。
これから、どうするか、どうなるか、分からないけれど、親を切り捨てたことで、愛情を受け取りにくくなっている自分がいることは確かだ。
いつか、毎日、おいしくご飯を食べ、ぷくぷくに太ってみたい。
もしくは、願わくば、愛する人に囲まれ、おいしくご飯を食べ、ムキムキの筋肉の身体になってみたい。
やっと、無邪気にそんなことが願えるようになった。
長かった。
今なら、ダイエットしてる人も受け入れられそうだ。
気付かせてくれた全てに感謝。
この話が、だれかの気付きになりますように。

2013年5月11日 (土)

好きな食べ物

あなたの好きな食べ物は何ですか?

私の好きな食べ物は、生モノです

生肉…ユッケ、生ハム、肉の刺身

生魚…カルパッチョ、刺身

といつも答えてました

今日、新たな発見をしました

私は、甘いものは普通らしい…

先月、「月曜から夜ふかし」の果物特集に影響を受けて、果物強化月間を自分に実施。

果物を買ってみました

…結果、

腐らしました

「女なんだから、甘いもの好きだろう」となんとなく思っていたのですが、どうも、私は、果物より、生ハムやイカ揚げの方がテンションが上がることをあらためて自覚しました。

今まで、自分の好きなものの順序も分かっていなかったのか…

女社会で甘いお菓子は武器です。

男性の前では言えるけど、女社会で甘いものが普通って言ってしまったら、ハブられるのではないかと無意識に思っていたようです。

これからは、甘いものは普通だと、意識していこうと思います

こんな風に少しずつ自分の恐れを手放して、少しずつ自分を取り戻していこうと思います

こんなに自分を捨ててたなんて…と驚きの毎日です

痛い…

2006年12月26日 (火)

感謝と肯定

最近、感謝をすることをモットーにしている

うれしいと思ったら、頭を下げる

たとえ「エレベーターがすぐに来た」という小さなことでも

その偶然に出会えたことを感謝する

今月のモアのIKKKOさんのインタビューで、

「たとえ、歯を食いしばってでも感謝の言葉を口にする」

と書いてあった。

どんなにつらいことでも、ありがとうと言える人間になるということは、

こういうことなんだとショックだった。

うれしい気持ちがあって初めて感謝なのだと思っていた。

すべては、苦痛を感謝することから始めないといけないのかと思うと途方にくれる

「この苦しみで、私は、成長できます

苦しみをありがとう

あなたがいてくれてありがとう」

昔は、出来ていた時期もあったような気がする

でも、それは苦痛が過ぎて、時間を置いてからの話だ。

何かあったとき、つめが手のひらに突き刺さるぐらい手を握りしめてでも、

悔しさで吐きそうでも、その場でありがとうを言えるようになりたい

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