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心屋で学んだこと

2013年9月10日 (火)

「サボり」は悪

私は「サボる」ことが嫌いだった。
特に仕事はそうだ。
全力でやって当たり前。
仕事のために体調を整え、ベストにしておくのが当たり前。
だって社会人なんだから。
与えられたマニュアルをできる限り再現する。
だって、その会社に雇われているんだから。
だって、だって、それで、お金もらってるんだから…
それが「当たり前」すぎた。
完璧と全力にこだわりすぎて、仕事が遅く要領が悪い。
小さい頃の優等生は不器用なまま大人になった。
 
 
最近、いろいろ考えるところがあって、ゆるい職場に転職した。
立場も契約社員からバイトになった。
二十代のバイトばかりの職場は、手を抜いた仕事をしたり、サボったりする。
若い頃のように、激しい怒りは湧かなかったけれど「もったいない」と思った。
―一生懸命やって、初めて仕事は面白くなるのに…。
違和感と言って自分を誤魔化している感情をどうにかしようと、仁さんの初級セミナーであった、大嫌いな人を自分に戻すワークをやってみた。
嫌いな人は、自分の欠けた部分。
パズルのピ―スのように、欠けた自分を取り戻す。
サボった相手をピースにして取り戻すと、イメージでしかないというのに、私の体を駆け巡った。
すごく気持ちが悪い。
何度も繰り返し、ようやく、ピースのつなぎ目が目立たなくなってきた頃…少しづつ変化が現れた。
 
 
「今日は、時間がないから、これだけやっておこう」
仕事で、この一言が自分に言えるようになった。
仕事の目的を考えて、その場その場で重要度の低い行動を落とすことで、要領がよくなった。
完璧にしないと「誰かに」怒られる。
完璧主義は、お客様の満足を追求する純粋な気持ちではなく、恐怖から出ていた。
―ちゃんとしなきゃ、言われちゃう…
 
 
「こんな人生だけどいっか」
家に帰って、自分一人になって、この言葉が言えるようになった。
人として、女として、サボった生き方している自分を許せるようになった。
恋愛もしようとせず、家庭も作ろうとせず、家に引きこもって、友達も作ろうとしない。
夢を追うと目標を掲げながら、行動も弱く、結果もない。
ひたすら、逃避を繰り返す日々。
私は、私を憎んでいた。
サボる自分を否定して、消そうとしていた。
―一体私は何をしようとしていたのだろう。
世の中の人たちには、休日を自転車転がして過ごすような人がいる。
長い期間を使って、世界を旅する人もいる。
みんなそれぞれ人生を楽しむ中、私は自己嫌悪とばかり付き合いをよくしてしまっていた。
立派なことで時間を埋めようとしすぎて、全部嫌になってしまっていた。
やっと、そんな自分を笑えるようになった。
 
 
こうして、すっかりその変化に慣れた頃、私の世界は変わった。
「サボる」というマイナスを取り戻すことで、私は「サボる」ことの表と裏を受け取った。
「サボる」ことがこんなに私に欠けていたなんて思わなかった。
サボっている職場の人たちに感謝。
サボってくれてありがとう。
 
 
そして、受け入れた今は知っている。
彼らは、押さえるところは押さえてる。
結果が出ているなら、それはサボりじゃない。
仕事を短時間で終わらせることができるなら、余った時間をどう使うかは、その人次第。
彼らの仕事への考え方と、私の考え方が違うだけ。
私と、彼らは、押さえるべきポイントが違うだけ。
私みたいな細かいことにこだわりすぎる人間が無駄な動きでトロトロ仕事している間に、彼らは倍の結果が出せる。
いろんな個性があるからこそ、会社は回るのだ。
アナタたちの要領の良い、仕事の速さにいつも救われてます。

2013年8月 8日 (木)

心屋式で変わったこと。幸せな一日。

心屋式効果を私小説にしました。

普通の日記書けなくて。

◆やっと手に入れた一日

今日、帰りの電車を降りて、ふと、一日を振り返ったら涙が止まらなくなった。

友達と遊んだ一日がとても幸せだったからだ。

 

今まで、私は、友達といても緊張してばかりだった。

役に立とう、楽しませよう、損をさせないようにしようとそればかり考えていた。

友達が愚痴をこぼせば、対応策を必死で考えた。

ただ、聞いてあげることは苦痛だった。

人を楽しませようとするあまり、無意識に話題を作ろうとしたのか、変な失敗が続くこともあった。

損をさせまい、と全部相手にあわせて、自分の意見を口に出さないようにした。

相手が好きな人であるほど、その緊張は高まる。

男女問わず、好きな人ほど、近くにいることが苦痛になって連絡を取らなくなる。

連絡を取ることが怖くなる。

時間を置けば、「やっぱり嫌われた」という気持ちに支配される。

ちょっとでも、相手が機嫌の悪そうな声を出すと、怖くてしょうがない。

―私が気に入らないことをしたから

自分のどこがいけなかったのか、行動を振り返って点検を始める。

私が原因とは限らないのに。

友達と別れ、一人になった瞬間、楽しかったはずなのに、力が抜ける。

疲れが押し寄せてきて、自分を取り戻すように、古本屋へ行ってマンガを読む。

こんな私だったけれど、長年付き合う内に、心置きなく話せるようになった人もいる。

それでも、この「くせ」のおかげで失った縁は多い。

年々、友達と食べるご飯に味を感じなくなった。

ずっと苦しかった。

 

心屋式に出会い、完璧を捨て、理想を捨て、役に立つことを捨てた。

身体の拒否反応で震えながら、

「失敗してもいい」

「役に立たなくてもいい」

「どーせ、愛されてるし」

何度も何度も唱えた。

しばらく唱えると頭の中が嵐にかき回されたようになって、痛みが起こる。

痛みの後は、しばらくぼんやりする。

ぼんやりする頭の中で、積み木に分解された「何か」が組み変わっていく手ごたえがあった。

嫌いな相手もどんどん飲み込んだ。

取り戻した一部は、痛みと気持ち悪さを持って、私の中を駆け巡る。

だんだん、自分が被害妄想に落ちると気付くようになった。

気付いた瞬間に言葉に変えて、「してもいい」をくっつけて唱え続けた。

お風呂で、急に堰を切ったようにでかい塊が吐き気や悲しみと一緒に湧きあがって来て声を上げて泣いた。

その度に、今まで見ないようにしてきた自分の恐れがいくつか終わっていった。

 

ある日「愛されてる」証拠に気付いた。

それは、とても小さな出来事だったけれど、私には衝撃だった。

ああ、好きなことしてていいんだ、と本当に心から思えた。

人は、皆、愛することからはじめるんだ、と信じることができた。

人は知り合って、相手と向き合った瞬間から愛することをはじめるんだ、と思った。

「愛」っていうのは、ドラマチックでも、神聖なものでもなくって、ただ、相手がそこにその形でいるって認めることが「愛」なんだ、と思えた。

愛の反対は「拒否」。

「拒否」は、自分が原因ではなく相手に原因がある。

だから、私は、みんなに愛されてるって信じてもいいんだ、と思えた。

 

そして、今日、友達と遊んだとき、ご飯がおいしく食べることができた。

友達の中に、かつて、私が悩んだ同じ「拗ね」を見つけたけど、イライラしたり、「指摘しなきゃ」という押し付けがましい正義感に駆られることもなかった。

友達の問題は友達の方法で解決する。

私は、私が言いたいことを言えばいい。

求められてもいないのに、役に立とうとしなくていい。

そう思うと、「拗ね」が少し愛おしく思えた。

無邪気に好きなものを見て、好きなものを語って、相手の意見に怯えず、自分の言葉も選ぼうとせず、ただ、思いつくままにそこに「居る」。

友達と私は違うのだから、意見が違って当たり前。

同じような悩みを持っていて、私が少し楽になったからといって、私が友達の上になったわけじゃない。

ただ、私は素敵な遊び場を見つけただけにすぎない。

ただ「違う」だけ。

いつもは疲れる時間帯にも元気に動きまわり、一日とても楽しかった。

一人になって「幸せだなあ」と思えた。

―ああ、こんな風に人と向き合えるようになるなんて思わなかった―そう思うと、涙が止まらない。

こんなに簡単なことが―今までできなかった。

無理して、相手に合わせるから、相手が私に好意を持ってくれてもいまいち信じられなかった。

今日、友達が、

「前の職場は苦しかったけど、こんな風に過ごせる友達ができてよかった」

って言ってくれたことも素直に受け止めることができた。

ああ―あんなに欲しかった満たされる瞬間をやっと手に入れたんだ―

それは、私が理想で描いていた充足感でいっぱいの幸福の形とは少し違うけれど、開放されたような軽い身体でほっとできる…そんな気持ちだった。

 

まだまだ、私の中に「拗ね」はいっぱいあって、たぶん、明日になれば、また気付いてない「拗ね」に支配されるのだろう。

でも、私は「幸せを分かち合える瞬間」を知った。

誰の役にも立ってない「家にいる時間」はまだ空虚になりがちだけど、少しづつ自分を取り戻せたらいい。

「どうせ、役に立たないし」

「役に立ってもいいし」

「どうせ、愛されてるし」

あんまりにも感動したこの気持ちを、あさましくも形を整え、作品にしてしまおうと思う自分がいます。

それも自分です。

この作品はうまく書けたと思うけど、かっこつけすぎかもしれません。

それでも、少しでも多くの人に、疑似体験してもらえれば幸いです。

言葉にできなかった想いが形になった、そう思っていただけると尚うれしいです。

2013年8月 1日 (木)

上級セミナーに参加して(覚書程度に)

心屋さんの上級セミナーに行ってきました

まあ、いろいろありすぎてうまく言葉にならないので、断片をば

びっくりしたことは、
優秀になると、みんなが離れていくと思ってたこと。
 
優等生コンプレックスがあったようです
起業したから、優秀に見せて信用得ないといけないのに、何してるんだ自分。
私を本当に大切にしてくれてた友達は、そんな人じゃないのに。
誰に嫌われることを恐れてたんだ!
 
あと、自分のこと大雑把だと思ってたのに、実は、細かい人間だったことに気づきました。
細かいことに気づき、理想が高いのに、不器用で実行力がない。
だから、大雑把だと自分のことを思ってた。
 
自分を否定するものがずいぶん少なくなった
 
けど、完全になくなったわけではなく、里の業は厳しい…
 
一番の宝物は、2日間の旅を一緒にした3人です。
遠く離れて、ラインでしかつながってないけど、いつでもあの瞬間に戻れる気がする。
 
心が閉じようとすると、ラインの3人が、開くことを思い出させてくれます。
 
こばの、進行は、流れるようで、硬すぎず、柔らかすぎず、いいバランスだと感じました。
このような場をありがとうございました

2013年4月22日 (月)

母親へ証明しようとしたこと

私は、母親に中学生から敬語を使っています
とにかく心理的な距離を置きたくて必死で取った行動でした。
 
 
そんな中学生のとき、働けない母親に詰め寄ったことがあります。
「働けないなら、できる限り何でもサポートします。
このままだと、家が立ち行かなくなります。
背に腹は変えられません。
まず、なぜ仕事を辞めたのか言ってみてください」
やっと出た答えは、
「着物を着ることが嫌だったから」でした
私は、絶句して何も言えませんでした
 
 
仕事を続けられるように、助けると言いながら、どうしたらいいかさっぱり分かりませんでした。
 
 
母には嘘を現実と捉えるところがあり、本当にそれが理由だったかどうだかは真相は誰も分からないのですが、私にはすごくわがままに思えました。
しかも、サポートすると言ったのに、何もできない自分がくやしかった。
 
それから高校生になって初めてアルバイトしたとき、「簡単」と思いました。
それなりに大変だけど、絶望的なほどの障害なんてないじゃないかと
大学生になったとき、仕事は、継続することが「力」なんだと心から知りました。
時間と経験が重なれば、それだけ存在価値が増す。
そうやって、この歳になって、自分より母親が似合いそうな仕事に就いていました
心屋さんに出会ってから、自分がなぜ、この仕事を続けているのか分かりました
私は、母親にずっとメッセージを送っていたんです。
「仕事怖くないよ」って
ほら、あなたみたいになった私がやっても、続けてられるでしょう、だから、怖くないよ。
仕事しようよ。
仕事がこわくないことを証明しようとしてたんです。
 
今の仕事に就き、自分が母親と同じ仮面をつけて、母親になりきって、証明しようとしてました。
「仕事怖くないよ」
「仕事は続けられるよ」
 
このことに気づいたとき、自分が、あまりにも、健気すぎて涙がちょちょぎれました。
あんなにボロボロにされたのに、それでも優しくしたいの?
絶対そんな風に受け取ってくれない相手に、私は、何をしてたんだろう…
もう、いいんだよ
って、やっと言えました。
届いてなくてもいいよ
もう、よくやったよ
もう、自由になろうって
開放された瞬間でした
涙が出そうになりました

2013年4月20日 (土)

退職の決意 枷になっていたもの

このブログは、心屋塾の感想を書いていきます。
ここ数日心がザワザワしてました。
それを押さえるために無意識に力を使っている感じ…
そして、お風呂に入ったら、その枷が取れました。
―家を失いたくない。
ずっと転職したいのに、どうしても言えなかった。
バイトで好きなことをしようと決めたのに
進めなかった。
お風呂で泣き崩れました。
怖い
って言葉が嗚咽と一緒に出ました。
私は、高校の時、親の生活力の欠如のおかげで、児童養護施設に入りました。
そのとき、家を失いました
大学になって、やっと自分の部屋探しをしたときは、保証人が弱くて、世の中に
「居場所を持つな」と言われてる気がしました。
根っこがブツリと切れて、風船のような自分が怖かった。
新しく借りた家が、どんどん自分になじんで安心してくると、世の中で、ここだけが私の居場所だと思えた。
今の家は、私の人生の勲章だったようです。
そういえば、自分に自由にお金を使うことを許して以来、一番増えたのは家電でした。
私はどんなにつらくても、どんなに酷い立場にいても、家があれば耐えられると思っていたようです。
実家も無い私には、安心できるほっとできる場所が必要だと思っていた。
2日間こんなことを繰り返し、恐怖を味わいきると「もういいか」と思えました。
「手放してもいい」
そうしたら、やっと、退職するって言えました。
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